
記憶の森
Past Life

人の魂が永遠でありうるのか
それは誰にも解らない
神のみぞ知る領域だ
何よりも人に魂があるかさえも解らない
それに色や形があるのかも、解らず
触れることすら叶わないのだから
実体として存在するかどうか
確かめることの出来ない問題だ
けれども 心が肉体のどこに宿っているかなんてことも
誰にも解りはしない
感情のありかなんて探せはしない
ならば 魂も同じだろう
前世療法
-過去からの癒し-
クライアントの人生に影響を及ぼしている問題を、過去にさかのぼって解決を試みるという療法です。
前世療法という言葉に関しては、とある精神科が患者のトラウマ治療中、偶然、ク患者が前世を語りだした・・・という出来事から生まれたようです。
この場合の精神科とはブライアン・ワイスで、彼の著作「前世療法」によって、多く広まることになりました。
もちろん、それ以前にも、同種の状態(心理あるいは精神的な医療ケア中)にて過去生を語りだす人はいて、そのような人生を思い出すことによって現在抱えている問題の背景に気づき、それが「前世療法」とは認識されないまでも、癒されたというケースはあります。
また、過去世の記憶を辿るあるいは思い出させる、リーディングして伝えていく・・・ということを行っていた人は数多いです。
例えば、エドガー・ケイシーがその良い手本でしょう。


催眠による前世療法
催眠によって、当人が過去を思い出す方法としては、精神科が行う退行催眠、そしてある種の訓練を受けたヒプノセラピストと呼ばれる人々が行うヒプノセラピーというようなものが存在します。
これらは施術者の誘導によって、催眠あるいは無意識下の状態に導かれ、自分が現在抱える問題の原因となった状況(過去)へと戻り、追体験を通して自ら「気づき」を得るというものです。
これは催眠に入りやすい人と入りにくい人という差があるので、すべての人にとって有効な方法とはいかないようです。また、そのセラピストを信頼し、心を開いていくことができるかというようなセラピストとの相性という問題も大きく影響します。
さらに、催眠下という状況はとてもデリケートで周囲の影響を受けやすい場でありますから、セラピストは慎重に選んだほうがいいでしょう。
正直な話、腕の悪いセラピスト、相性の悪いセラピストにかかったときには、精神的かつエネルギー的ダメージを受けることもありますから。

リーディングによる前世療法
当人が催眠や無意識下に陥ることなく、第三者(他人の過去生が読めるという人)に自らの過去を読んでもらうやり方です。
この場合の他人の過去世が読める人…というのは、様々なサイキックヒーラーやサイキックリーダーたちのことです。多くは、エネルギーヒーラー、霊能者、チャネラー・・・などの肩書きを持っている人たちです。過去をリーディングする方法はそれぞれ独自のやり方を取っていたりするので、一概には言えません。
クライアントのハイアーセルフやスピリチュアルガイド(あるいは守護霊)、または宇宙意識などの高次な存在とつながって、そうした存在から情報をもらって伝える場合もありますし、アカシックレコードと言われるスピリチュアルなエネルギーポイントにコンタクトしてそこから個人情報を読み取る人とか…また、クライアント自身のオーラエネルギー(チャクラなど)に残る記憶の残像を読み取る人もいます。繋がったり、情報を得る方法は様々ですが、だいたい、今のその人に一番必要で影響を及ぼしていることに焦点があてられます。

リーディングの内容・信憑性は、はっきりいって、確かめられるものではありません。何故なら、今の人生の過去はともかく、過去世に関しては科学的に立証されていず、常識的な枠組みの範疇を超えていますし、現実的かつ物質的にそのリーディングの正確性を確かめる術がないからです。
そんなわけで、そのリーディングが正しいものかどうかは、クライアント自身の判断、それが納得できるか否かにかかっています。最終的に、語られたリーディングの信憑性というのはクライアント自身が告げられた内容・物語を自分のこととして受け入れられるかどうかの問題なのです。
それを知ることによって、自分の精神的なクセの原因が何処から来ているのか納得できたかどうか・・・すべてつじつまが合う、それによって何かが解決できるのであれば、他の人がどう思おうと、その過去が自分にとっての真実であると・・・そう受け入れればよいのではないでしょうか。
過去世(前世)について
推薦できる本
「前世を記憶する20人の子どもたち」
イアン・スティーブンソン 編 今村光一 訳
米国ヴァージニア大学出版局刊 2300円(税別)
前世、過去世研究の本ということではあまりにも有名な本です。
記憶な事実をもとに前世の裏づけを取るという研究はそうそう行われるものではなく、他に例を見ません。まして、記憶の保持者である当人が主観的に自らの体験を語るというのではなく、教養ある学者の著者が客観的な視野に 立ち、周囲のものから証言をえ、検証をして比較検討するなど、前世肯定論者でなくても一読の価値はあると思います。

「来世体験」
コリン・ウィルソン 著 荒俣宏 監修・解説 梶元靖子 訳
三笠書房 刊 3000円(税別)
この本も過去世の存在を肯定するというのではなく、人の魂は死後も存在しつづけることができるのか、過去世とは何なのか、人の意識の奥に隠された記憶とは何か、人が前世としてとらえている記憶という錯覚の正体は何であるのか、そうした人間の可能性について述べられた本です。

「前世療法」「前世療法2」
ブライアン・L・ワイス 著 山川紘矢・亜希子 訳
PHP研究所 刊 1550円(税別)
著者はアメリカ人の精神医学者で、患者を催眠療法によって治療中、必然かな過去世というものを患者を通してかいま見てしまいました。そこから、著者の西洋医学を修めたものとしての職業的葛藤を負うとともに、新しい視野の広がりと理解を越えた世界との出会い、そして魂の解放が始まった・・という感じでしょうか。とってもお薦めです。

「前世からの恋人」
ジェス・スターン 著 林陽一 訳
中央アート出版社 刊 1650円(税込)
いわゆるソウルメイトについての本です。マリリン・モンローの過去世のひとつにジャンヌ・ベキュ・・いわゆるデュ・バリー夫人であったことがあるなぞ、荒唐無稽ではあるけれど、それが真実だとしたら、歴史はもっと面白かろう・・なんぞ、ふざけたことを思ってしまいました。そういう意味でも、興味深く面白い本です。


過去生とは何か
過去を知るということ
前世・過去生を知るということが、それほど必要のあることだとは思いません。知らなければならないということはなく、人生、さほど重要な意味を持つ問題だとも考えられません。
知らなければ知らないで済む事象ですし、覚えていなくても、思い出せなくても、それはごく辺り前の事で、それが自然の摂理なのだと思います。
そもそも、前世思想というものが、あくまで架空思想による推論なのですから。
現代に生きる私たち人間にとって、必要のないこと、と言って無視して終わらせてしまえるような、そんなとるに足らない夢想なのだとも思います。
そもそも、人の有する”記憶”という存在自体も、怪しいところがないではありませんし・・
前世いわゆる過去世というものを考える前に、人の魂が永遠不滅か否かという是非もありますし・・ まあ、この辺は別の項目に譲るとして、とりあえず、人の魂が不滅に存在し、肉体を衣のように脱ぎ捨てながら生を繰り返しているという過去世思想を受け入れるという認識での話を進めるとしましょう..

過去と現在をつなぐミッシングリンク
私が思うに、前世なんて 知って、覚えていたとしても、
「だからどうした?」
っていうような事だと思います。
別段特別なことではないと思うので・・・
生れる前の記憶といっても、中身は全く同じ人物で、今の自分が継続してしぶとく生き続けているだけですから、単なる昔話、過去は過去でしかないというわけです。今年肉体年齢が100歳の人にとっては、1年前も、10年前も、50年前も90年前も過去は過去・・・過去の話はむかし話というわけで。
肉体年齢が20歳の人の50年前も、1000年前も、それと同じで似たようなものです。
ただ、取り巻く環境とか、性別とか容姿とかが異なっていると、同じ人間でも生き方を変えて存在してたりするって事ですかね。それは今の人生にも通じることでしょう? 環境や教育、思想や時代の影響によって人は変わるし、性格が丸くなったり、歪んだり、いつまでたっても成長しない人もいるし、どんどん自分を磨いていく人もいるし・・
だから、むかしの自分とは変わっていたりはしますよね。良い意味でも悪い意味でも。でも、人間の本質、核(コア)という、そうそう変わらない部分ももちろんあります。
とにもかくにも、成長しないことには困ってしまうのですが。。。子供が肉体の成長とともに精神も成長させていかなければならないように、何回も人生をやり直しているのに、まったく精神的進歩がないのでは、人類のお荷物的存在になってしまうかも?

私の場合、思い出せるだけでも、何回も人生やり直しているのですが・・・
でも、どうなんでしょうか? エドガー・ケイシーのいうように、「ハイ! 今までよく頑張りました。あなたは卒業生です。もう転生しなくても結構です」っていってもらえるような、転生の卒業にはまだまだ程遠いです。相変わらず同じような過ちのパターンを繰り返していますし…私の「過去世体験」を私の知り合いが読んだなら、一目瞭然です。きっと、彼らは「昔も今も学習能力ってものが欠如している」とあきれるに違いありません。
過去の人格・自分というより、昔自分が生きた時代や習得したこと、これは今につながっていると思います。
思い出してみると、どうしてこういう服装が好きなのか、何故この国、土地、時代や遺跡に心惹かれるのかとか。なんで、こういう方面が好きなのか・・初めて触れるはずの技術や知識なのに、すらすらと身についてしまうのか・・食べ物とかもそうです。
私は好奇心が旺盛であらゆる方面にアンテナを伸ばしてしまうのですが、それは性格だといってしまえばそれで済むことですが、民族衣装からビクトリア調までの守備範囲の広い統一性がない服装をしたがったり、ハーブ療法やウィッカ、占い、歴史、船、アンティーク、音楽、本、絵を描くことなど、他方面に心が動いたり、あらゆる職業に就いてもとりあえずはこなしてしまうこと等は、現在のたった数年の人生で身についたこととは思えません。
何度も人生を繰り返し、あらゆる場所でいろんなことをしてきた経験がどこがで残っているから、今こんなに器用貧乏なのかなあと、そう考えると妙に納得出来るのです。
私が、過去(前世)を振りかえるとき、それはあまりにも若かった、向う見ずな我が半生を振りかえるようなもので、とても恥ずかしいことばかりしてきた気分に陥ってしまいます。もっと、人に自慢できるような人生を生きてこれたら良かったのに・・・あーあ・・・昔っから、ロクでもないヤツだなぁと、情け無く思ってしまうのです。けれど、自分の弁護のためにいいますが、人の役に立つ生き方をしていたことも少なからずあります。でも、悪い事もそれなりにしました。

前世を知るということ
私の場合、覚えていた、思い出せた、という部類に入りますが、これらを知ることによって、何が変わったかというと、何故いま自分がこのような状況に置かれているのか、このような考えを持ってしまったり、こういう悩みを抱いてしまうのか。自分という個人の内部的葛藤や情緒的傾向、感情の方向性などなどが理解できた・・というところでしょうか。どうしてこのような思考から、このような行動パターンをとってしまうのか、そのように物事を捉えてしまうのか・・そう反応してしまうのか。などです。つまりは単なる行動と思考の言い訳につながっている気もします。
現代に置き換えると、過去の人生を知るというのは、幼少期のトラウマ体験(人格形成のごく初期に出来た心のアレルギーともいえる傷)を知るのと同じような気がします。
ただ、下手をすると、過去世に現代の人格が抱える問題の原因を求めるという行為は、「犯罪を犯したのは、今自分がこんな人間になってしまったのは、幼少期に受けたトラウマが原因だ!!」というような、今アメリカ社会なんかでも問題になっているような責任転嫁と紙一重ってのがありますね。
今私がこうなのは、過去にこんな事があったからだ・・この人は昔私に悪さをした人だから、仕返ししていいんだ・・とか。そういうのは良くないし、そうなったら困ります。
さてさて。前世、自分が誰でどこで何をしていたとか、そんなことは対して意味はないですし、それだけのために知る必要はないことだとも思います。興味本位で自分の過去をファッションのように捉えてしまうのは、かなり違うかなあ・・って思います。

前世を思い出すという事は・・そうですね。
例えば、朝起きて、胸が痛かったとしますよね。本人は何で痛いのか解らない。だから、あれこれ、考える。もしかしたら、怖い病気なんじゃないかとか、このまま死んでしまうのかな。。とか、なんか刺さったのだろうか? とか・・病院に行かなくちゃとか・・胸を見ると傷のようなものがある。。これは何だと驚く。果てまた泥棒が入って何かされたのかとか、宇宙人にでも拉致されて手術でもされたのかとか・・あれこり悩んでしまうんです。痛いものだから、動けないし、仕事にも行けない。。さてさて ふと、夕べのことを思い出す。そういえば、酔っ払って机の角にぶつけたんだった、なーんだ。そうと解れば、湿布でも貼ろう・・で、あっさり解決する運びと相成るわけで。
つまりは前世を思い出すということは、胸の痛みと痣が、机の角にぶつけて出来たものだということを思い出すのと同じ位のものだと思うのです。
そういうような役の立ちかたです。本人が忘れていることを思い出すことによって、「なーんだ、そうだったのか」と、現在の状況や結果が納得できる、受け入れられることができるようになると・・・。
